諏訪町 諏訪梅林



    天保四年水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)が造園した梅林と伝えられている
    約300本の梅が植えられていて、地元の保存会会員により管理されており年々観梅客が増えつつある
    明治35年に諏訪梅林を訪れた歌人、長塚節は「雪降りて 寒くはあれど 梅の花 散らまく惜しみ 出でて来にけり」と詠んだとされ、
    当時から梅の名所であったことが偲ばれます
    園内には郷土出身戦没者の慰霊碑・石碑、石仏等が祀られ、心和む園地である

 諏訪梅林周辺の案内図 梅林通り(県道37号線)梅見橋 梅見橋上から上流鮎川の景観

 梅見橋上から右側の景観 石仏馬頭観世音さまの案内板 梅見橋袂駐車場隅の石碑、石仏群

 石碑、石仏群 諏訪梅林第一駐車場 山側諏訪梅林の案内標柱

 山側諏訪梅林入口 山側諏訪梅林内 山側諏訪梅林内

 山側諏訪梅林内東屋 山側諏訪梅林内 山側諏訪梅林内

 山側諏訪梅林内 山側諏訪梅林内の慰霊碑 山側諏訪梅林内

 山側諏訪梅林内 山側諏訪梅林内 山側諏訪梅林から鮎川沿いの諏訪梅林全景

 休息所広場(第一駐車場上にあたる)の景観 第一駐車場入口 第一駐車場周辺の景観

 山側諏訪梅林内への入口 第一駐駐車場 高台から見た山側諏訪梅林の景観

 高台から見た山側諏訪梅林の景観 日立市高鈴町出身小松崎爽青の句碑 山側諏訪梅林内

 山側諏訪梅林内 山側諏訪梅林内 中央の東屋 山側諏訪梅林内 後方常磐道

 山側諏訪梅林内 後方常磐道 山側諏訪梅林内 後方常磐道 山側諏訪梅林内

 山側諏訪梅林内 山側諏訪梅林内 山側諏訪梅林内

 山側諏訪梅林内 鮎川沿い側諏訪梅林入口 鮎川沿い側諏訪梅林内

 鮎川沿い側諏訪梅林内の長塚節の歌碑・案内碑と諏訪梅林の標柱 鮎川沿い側諏訪梅林の標柱 鮎川沿い側諏訪梅林内 烈公手植の梅

 鮎川沿い側諏訪梅林内 烈公手植の梅の標柱 鮎川沿い側諏訪梅林内 烈公手植の梅の標柱 鮎川沿い側諏訪梅林内 烈公手植の梅

 鮎川沿い側諏訪梅林内 烈公手植の梅 鮎川沿い側諏訪梅林内 紅梅 鮎川沿い側諏訪梅林内

 鮎川沿い側諏訪梅林内 西側 鮎川沿い側諏訪梅林内 西側の紅梅 鮎川沿い側諏訪梅林内 バーベキュー場入口

 鮎川の景観 鮎川でたわむれるかも・あひる 鮎川堰提と野鳥

 鮎川沿い側諏訪梅林内 鮎川沿い側諏訪梅林内 鮎川沿い側諏訪梅林内

 鮎川沿い側諏訪梅出口 出口から鮎川沿い側諏訪梅の景観 鮎川沿い側諏訪梅内

 鮎川沿い側諏訪梅林内 鮎川沿い側諏訪梅林内から山側諏訪梅林の全景 鮎川沿い側諏訪梅林内から山側諏訪梅林の景観

 山側諏訪梅林の景観 鮎川沿い側諏訪梅林の景観


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